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いつからだろう、
「葛飾北斎」
その名前を耳にしただけで、
鳥肌が立つほどに彼に陶酔している。
いったいいつから、
僕は北斎を好きになったのだろう。
都営大江戸線は中央部が環状線になっている。
練馬から都心へ向かう大江戸線は、
環状部の始まり、都庁前駅から半時計周りに走る。
そのまま乗っていれば汐留に着くのだが、
今日は都庁前で降りて向かいの大江戸線へ。
時計回りに進む大江戸線に揺られて着いたのは、両国。
JRを降りると目の前に国技館があるが、
大江戸線の階段を上るとそびえているのが、江戸東京博物館だ。

見る者を圧倒する異質な外観。
中央は完全な吹き抜けになっていて、
まるで宇宙船のドックのようだ。
平日の、しかも開場時間前ということで人はまばら。
年配の方が10人くらい。
北斎を独り占めできるかのような人の少なさだ。

北斎の生きた江戸後期。
この国は鎖国の中にあり、海外との交流はほとんど無かった。
その中で、唯一の出入り口であった長崎・出島では、
オランダ人達が浮世絵を買い集め、
また外国の文化を発信していた。
彼らに指名買いされるほど人気を博したのが北斎であり、
それによって北斎は海外の技術や素材を研究できたようだ。
今回の展覧会は、
そんな海外に持ち去られた作品ばかりを集めた企画展だ。
百聞は一見に如かず、というが、
これ以外に言葉が見つからない。
「洋画」、「日本画」とか、「油絵」、「水墨画」とか。
高校の授業なんかで習うこともあるだろうが、
その違いは、ただ単に使う素材、つまり絵の具の違いである。
日本画の伝統的素材である岩絵の具は水彩のようなものであるし、
水彩の絵の具を作るのに必要なアラビアゴムを、
北斎も応挙も持っていた。
北斎にいたっては油絵の具も使用していて、
そもそも海外において「日本画」という絵のジャンルは存在しない。
「奥行きが無く、平べったく、いびつで、ちょっと下手に見える」
日本人が持つ「昔の日本人の絵」のイメージを、
簡単に吹き飛ばすであろう、今回の展示作品。
鮮烈な色使い、
柔らかい陰影のグラデーション、
画面を貫く透視遠近法。
それが油絵か、水彩か、水墨か、
そんなことは一切どうでもよいことなのだ。
ただ目の前に圧倒的な完成度の絵がある、
その事実だけで十分なのだ。

「節季の商家」 北斎工房 オランダ国立民族学博物館蔵

「端午節句」 北斎工房 オランダ国立民族学博物館蔵
葛飾北斎のデビュー間もない頃から晩年の肉筆画まで、
かなり幅広い年代の作品に出会えるのも面白い。
勝川派から絵師として世に現れ、
派を離れ独自に美を追い求める北斎は、
いつしか誰にも真似できない境地に辿り着いている。
おそらく北斎は自己研鑽に夢中であるから、
自分の境地というものを相対的には見なかったであろう。
北斎の絵が、目の前にある。
おそらく北斎も、
今僕が立っている程度の位置から絵を描いたことだろう。
一体どれ程の情熱を燃やし、
どれだけの感情をぶつけ、
どれだけこの絵を睨んだろうか。
北斎の絵を前にすることは、
北斎と対峙することには成り得ないだろうか。
何かを感じるような気がするのは、
果たして僕の勘違いなのだろうか。
絵に興味がある人なら、
美術館へ出かけるのが好きな人なら、
間違いなく楽しめるはずだ。
絵に興味が無いのなら、
余計な知識を詰め込まずにただ見てくるといい。
絵の面白さがわかるはずだ。
作品保存の都合上入れ替えがあるから、
1月は2回足を運ぶつもりだ。
葛飾北斎。
僕など足元にも及ばない。
その名前を耳にしただけで、
鳥肌が立つほどに彼に陶酔している。
いったいいつから、
僕は北斎を好きになったのだろう。
都営大江戸線は中央部が環状線になっている。
練馬から都心へ向かう大江戸線は、
環状部の始まり、都庁前駅から半時計周りに走る。
そのまま乗っていれば汐留に着くのだが、
今日は都庁前で降りて向かいの大江戸線へ。
時計回りに進む大江戸線に揺られて着いたのは、両国。
JRを降りると目の前に国技館があるが、
大江戸線の階段を上るとそびえているのが、江戸東京博物館だ。
見る者を圧倒する異質な外観。
中央は完全な吹き抜けになっていて、
まるで宇宙船のドックのようだ。
平日の、しかも開場時間前ということで人はまばら。
年配の方が10人くらい。
北斎を独り占めできるかのような人の少なさだ。
北斎の生きた江戸後期。
この国は鎖国の中にあり、海外との交流はほとんど無かった。
その中で、唯一の出入り口であった長崎・出島では、
オランダ人達が浮世絵を買い集め、
また外国の文化を発信していた。
彼らに指名買いされるほど人気を博したのが北斎であり、
それによって北斎は海外の技術や素材を研究できたようだ。
今回の展覧会は、
そんな海外に持ち去られた作品ばかりを集めた企画展だ。
百聞は一見に如かず、というが、
これ以外に言葉が見つからない。
「洋画」、「日本画」とか、「油絵」、「水墨画」とか。
高校の授業なんかで習うこともあるだろうが、
その違いは、ただ単に使う素材、つまり絵の具の違いである。
日本画の伝統的素材である岩絵の具は水彩のようなものであるし、
水彩の絵の具を作るのに必要なアラビアゴムを、
北斎も応挙も持っていた。
北斎にいたっては油絵の具も使用していて、
そもそも海外において「日本画」という絵のジャンルは存在しない。
「奥行きが無く、平べったく、いびつで、ちょっと下手に見える」
日本人が持つ「昔の日本人の絵」のイメージを、
簡単に吹き飛ばすであろう、今回の展示作品。
鮮烈な色使い、
柔らかい陰影のグラデーション、
画面を貫く透視遠近法。
それが油絵か、水彩か、水墨か、
そんなことは一切どうでもよいことなのだ。
ただ目の前に圧倒的な完成度の絵がある、
その事実だけで十分なのだ。
「節季の商家」 北斎工房 オランダ国立民族学博物館蔵
「端午節句」 北斎工房 オランダ国立民族学博物館蔵
葛飾北斎のデビュー間もない頃から晩年の肉筆画まで、
かなり幅広い年代の作品に出会えるのも面白い。
勝川派から絵師として世に現れ、
派を離れ独自に美を追い求める北斎は、
いつしか誰にも真似できない境地に辿り着いている。
おそらく北斎は自己研鑽に夢中であるから、
自分の境地というものを相対的には見なかったであろう。
北斎の絵が、目の前にある。
おそらく北斎も、
今僕が立っている程度の位置から絵を描いたことだろう。
一体どれ程の情熱を燃やし、
どれだけの感情をぶつけ、
どれだけこの絵を睨んだろうか。
北斎の絵を前にすることは、
北斎と対峙することには成り得ないだろうか。
何かを感じるような気がするのは、
果たして僕の勘違いなのだろうか。
絵に興味がある人なら、
美術館へ出かけるのが好きな人なら、
間違いなく楽しめるはずだ。
絵に興味が無いのなら、
余計な知識を詰め込まずにただ見てくるといい。
絵の面白さがわかるはずだ。
作品保存の都合上入れ替えがあるから、
1月は2回足を運ぶつもりだ。
葛飾北斎。
僕など足元にも及ばない。
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p r o f i l e
HN:
americoma
性別:
男性
自己紹介:
人 魂 で
行 く 気 散 じ や
夏 野 原
アメリカと日本、
そしてそれぞれの文化を
こよなく愛し、
その矛盾する感覚に
自分自身興味津々。
1996 BUELL S1
僕の頼もしい愛車。
葛飾北斎と
MOTLEY CRUEを
崇拝しております。
休日は近所のタリーズで
絵を描いたり、
雑誌読んだり、
人間観察したり、
考え事したり、
何もしなかったり。
行 く 気 散 じ や
夏 野 原
アメリカと日本、
そしてそれぞれの文化を
こよなく愛し、
その矛盾する感覚に
自分自身興味津々。
1996 BUELL S1
僕の頼もしい愛車。
葛飾北斎と
MOTLEY CRUEを
崇拝しております。
休日は近所のタリーズで
絵を描いたり、
雑誌読んだり、
人間観察したり、
考え事したり、
何もしなかったり。
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