[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「己 六才より物の形状(かたち)を写(うつす)の癖(へき)ありて
半百の此(ころ)より数々(しばしば)画図(ぐゎず)を顕(あらは)すといえども
七十年前画(えが)く所は実に取るに足(たる)ものなし
七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚(ちやうじうちうぎよ)の骨格
草木(そうもく)の出生(しょっしょう)を悟し得たり
故に八十六才にしては益々進み
九十才にして猶其奥意(なおそのおうい)を極め
一百歳にして正に神妙ならん与欠(か)
百有(いう)十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん
願くば長寿の君子予言(よこと)の妄(まう)ならざるを見たまふべし」
自らの画号を画狂老人卍とした葛飾北斎が、
風景画シリーズ「冨嶽百景」の初編跋文に残した有名な言葉だ。
1834年のことである。
当時の葛飾北斎は既に冨嶽三十六景や北斎漫画などの発表を終え、
まさに浮世を代表する怪物絵師であったはずだが、
まるで勝負はこれからだと言わんばかりの強靭な精神に心を打たれる。
将来の夢。
転職するならもちろんのこと、
日常的に聞かれることも不思議ではないこの質問に、
僕は正直答えにくい。
答えはあるが、
聞く人の期待するものとは甚だずれている気がして、
面接なんかではあまり聞いてもらいたくない質問だ。
将来の夢。
それは終わることのないであろう自己探求を突き詰めていくことにある。
手段は問わないが、おそらくは絵だ。
僕にとってこれに代わるものはおそらく無い。
絵を描く。
そのために下絵を描き、イメージを練る。
その一連の動作、つまり絵に関わっている時間というのは、
苦痛を伴うが最も生き甲斐を感じられる時間だと思う。
現代社会において、何かしらの経済活動、つまり勤労は義務だ。
だから何かを「仕事」にしている必要があるが、
その職種が何なのか、その形態がどうであるか、
一生懸命になれればそれは重要な問題ではない気がする。
漠然と、非常に漠然とだが、
絵かそれに準ずるクリエイティブな分野で起業したいという思いはある。
でもそれすら僕の夢ではなく、
夢を達成するために通過する手段なのだと感じている。
葛飾北斎は、その90年の生涯の中で70回以上の転居を経験している。
思い立って画材と共に家を飛び出してしまうのだろう。
そしてその画号も度々変えている。
つまり北斎が「葛飾北斎」であったのはほんの一時期のことだ。
作品制作という中心点に軸を取りながら、
居を移し名を変え、絶えず新しい何かを探し続けた北斎。
彼もまた一直線に転がり続ける石だったと僕は思う。
それこそが最終目標、かな。
転がり続けた先に何があるかはわからないが、
それがわかっては面白くない。
Rock and Roll 。
転がる石でありたいと思う。
さて、昨日誓った、今日やるべきこと。
①退職に伴う荷物等の片付け。
②①に伴う部屋の片付け。
③2台のビューエルの徹底的洗車&磨き
はい。
どれもやっていません、笑。
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
行 く 気 散 じ や
夏 野 原
アメリカと日本、
そしてそれぞれの文化を
こよなく愛し、
その矛盾する感覚に
自分自身興味津々。
1996 BUELL S1
僕の頼もしい愛車。
葛飾北斎と
MOTLEY CRUEを
崇拝しております。
休日は近所のタリーズで
絵を描いたり、
雑誌読んだり、
人間観察したり、
考え事したり、
何もしなかったり。