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久々に上野に行った。
この盆明けに終了となる、
「対決―巨匠たちの日本美術」
国立博物館で開催されている企画展だ。
昨日から一応夏休み。
絵の好きな同僚の子と一緒に国立へ。
同時期に、もしくは近い時期に似たようなモチーフを描いた作家2人を対にして、
それぞれの作風に迫るという、
いわばオムニバスのような展覧会。
見たことのある作品もあるし、
正直あまり関心の無い作家もいる。
北斎が無いのは残念であるが、
彼と対をなせる作家が果たしているかどうか考えてみれば、
彼の絵がそこに無いのは不思議なことではない。
円山応挙、芦雪、曽我蕭白、伊東若冲、
さらには狩野永徳や歌麿、写楽まで。
豪華極まりないそのエントリーは、
日本美術に触れてみたい人にはオススメの分かりやすさ。
それぞれの作品点数は少ないが、
彼らの自由で潔い筆捌きに、きっと心が洗われることだろう。
伊東若冲の「旭日鳳凰図」。
まるでグラフィックのような、
筆跡の無い色鮮やかな作品。
ボストン美術館蔵の「日出鳳凰図」もぜひ見てみたいが、
これらの作品は緻密な作業の集積であって、
スピードと気によって描かれたものとはまた異なる。
そういった意味では彼の水墨画こそ一見の価値があるし、
鶏の連作を見たら言葉を失うだろう。
僕にとっておよそ3年半ぶりの再会となった、
円山応挙の「猛虎図屏風」は、
芦雪の「虎図襖」と対をなして展示されていた。
夕方から行ったので、20時の閉館時間はすぐにやってきた。
でも、おかげで応挙の虎を独占。
誰もいない空間で数メートル先の虎と対峙できる、
こんな幸せはそうそう味わえるものではない。
久々の上野。
実は上野が大好きだ。
小さな悩みなど忘れてしまうような、ゆったりとした時が流れる。
芸術がその地位を確立し、
広い空が昔を思い出させてくれる。
ひぐらしが鳴き、生ぬるい風が吹き抜ける。
素晴らしい作品たちを堪能して外へ出たら、
もう上野の森は真っ暗闇だった。
いつまでも見飽きることの無い水の流れをしばし眺めて、
なんとなくマイナスイオンを浴びた気になる、笑。
僕はどっぷりと絵に浸かってきたから、
自分が絵を見ることも、絵を考えることも、
そして当然描くことも、
僕には当然のことであって、
この10年、絵を見る幸せなどそんなに考えはしなかった。
その子は絵は好きだが描くわけではないし、
若冲の大ファンらしいが、実物を見るのはこの日が初めて。
隣で感動している姿を見て、
絵が、芸術がなんと素晴らしいものかを再認識させられた。
250年も前の絵師たちが向かった絹本に、
同じような距離で対峙できるということ。
世界にその一つしかない屏風を前に呼吸をしているということ。
そして自分にはある程度図画をあらわす心得があるということ。
誰に感謝してよいのやらわからないが、
この気持ちを大切にしよう。
絵が描けるということに、もっと感謝しよう。
「対決―巨匠たちの日本美術」
国立博物館で開催されている企画展だ。
昨日から一応夏休み。
絵の好きな同僚の子と一緒に国立へ。
同時期に、もしくは近い時期に似たようなモチーフを描いた作家2人を対にして、
それぞれの作風に迫るという、
いわばオムニバスのような展覧会。
見たことのある作品もあるし、
正直あまり関心の無い作家もいる。
北斎が無いのは残念であるが、
彼と対をなせる作家が果たしているかどうか考えてみれば、
彼の絵がそこに無いのは不思議なことではない。
円山応挙、芦雪、曽我蕭白、伊東若冲、
さらには狩野永徳や歌麿、写楽まで。
豪華極まりないそのエントリーは、
日本美術に触れてみたい人にはオススメの分かりやすさ。
それぞれの作品点数は少ないが、
彼らの自由で潔い筆捌きに、きっと心が洗われることだろう。
伊東若冲の「旭日鳳凰図」。
まるでグラフィックのような、
筆跡の無い色鮮やかな作品。
ボストン美術館蔵の「日出鳳凰図」もぜひ見てみたいが、
これらの作品は緻密な作業の集積であって、
スピードと気によって描かれたものとはまた異なる。
そういった意味では彼の水墨画こそ一見の価値があるし、
鶏の連作を見たら言葉を失うだろう。
僕にとっておよそ3年半ぶりの再会となった、
円山応挙の「猛虎図屏風」は、
芦雪の「虎図襖」と対をなして展示されていた。
夕方から行ったので、20時の閉館時間はすぐにやってきた。
でも、おかげで応挙の虎を独占。
誰もいない空間で数メートル先の虎と対峙できる、
こんな幸せはそうそう味わえるものではない。
久々の上野。
実は上野が大好きだ。
小さな悩みなど忘れてしまうような、ゆったりとした時が流れる。
芸術がその地位を確立し、
広い空が昔を思い出させてくれる。
ひぐらしが鳴き、生ぬるい風が吹き抜ける。
素晴らしい作品たちを堪能して外へ出たら、
もう上野の森は真っ暗闇だった。
いつまでも見飽きることの無い水の流れをしばし眺めて、
なんとなくマイナスイオンを浴びた気になる、笑。
僕はどっぷりと絵に浸かってきたから、
自分が絵を見ることも、絵を考えることも、
そして当然描くことも、
僕には当然のことであって、
この10年、絵を見る幸せなどそんなに考えはしなかった。
その子は絵は好きだが描くわけではないし、
若冲の大ファンらしいが、実物を見るのはこの日が初めて。
隣で感動している姿を見て、
絵が、芸術がなんと素晴らしいものかを再認識させられた。
250年も前の絵師たちが向かった絹本に、
同じような距離で対峙できるということ。
世界にその一つしかない屏風を前に呼吸をしているということ。
そして自分にはある程度図画をあらわす心得があるということ。
誰に感謝してよいのやらわからないが、
この気持ちを大切にしよう。
絵が描けるということに、もっと感謝しよう。
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c a t e g o r y
p r o f i l e
HN:
americoma
性別:
男性
自己紹介:
人 魂 で
行 く 気 散 じ や
夏 野 原
アメリカと日本、
そしてそれぞれの文化を
こよなく愛し、
その矛盾する感覚に
自分自身興味津々。
1996 BUELL S1
僕の頼もしい愛車。
葛飾北斎と
MOTLEY CRUEを
崇拝しております。
休日は近所のタリーズで
絵を描いたり、
雑誌読んだり、
人間観察したり、
考え事したり、
何もしなかったり。
行 く 気 散 じ や
夏 野 原
アメリカと日本、
そしてそれぞれの文化を
こよなく愛し、
その矛盾する感覚に
自分自身興味津々。
1996 BUELL S1
僕の頼もしい愛車。
葛飾北斎と
MOTLEY CRUEを
崇拝しております。
休日は近所のタリーズで
絵を描いたり、
雑誌読んだり、
人間観察したり、
考え事したり、
何もしなかったり。
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