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祖父が、半年振りに自宅へ帰ってきた。



冗談と、甘いものと、酒が大好きな祖父は、

実は強烈に怖い父親だったと、母は言っていた。


戦争を生き抜き、5人の子を育て、貧しい思いをさせずに生きてきたのなら、

それは確かに、

生易しい親父では務まらぬものだと、

なんとなく理解できた。








深夜の関越自動車道は、ほとんど走る車もない。

でも、

どれだけアクセルを踏んでも、病院は遠かった。






後部座席に座った母が、携帯で誰かと話している。

走行音で、詳しい話は聞き取れなかったが、

母は確かめるように言った。


「午前1時20分ですね?」












今日、

祖父が、半年振りに自宅へ帰ってきた。


物言わぬ故人として、

先立った祖母との思い出の家へ帰ってきた。








「今日か明日中くらいに、会わせたい人には来るように伝えてください」


金曜日に祖父を見舞った母は、医者にそう告げられた。

しかし容態は安定し、もうしばらく大丈夫だ、と後から連絡が来た。

タイミング悪く土曜日に行けなかった僕と父は、

日曜日に見舞いに行くことにした。




そう思ったのも束の間、祖父の容態は急変したらしい。

深夜、両親を乗せ、練馬ICから関越に乗った。










大抵の「おじいちゃん」は孫に過剰に優しいが、

この「おじいちゃん」とて例外ではない。

遊びに行くと、一緒に遊んでくれたり、何かプレゼントしてくれたりした。

僕を叱る母に、「まぁいいじゃないか」と笑う祖父は、

柔らかくて温かい壁のように、僕を優しく守ってくれた。










「午前1時20分ですね?」


車の時計は、まさに午前1時20分だった。

間に合わなかったか。


助手席の父は、黙って腕時計を見ていた。

かと思うと、誰々に連絡しなさい、母に的確な指示を出す。


母は落ち着いた声で、兄弟に電話をかけ続ける。


僕は、

僕はハンドルを握り締めることしかできなかった。

溢れ出る涙を必死にこらえながら、

深夜の関越を、ただただ走らせることしかできなかった。








冗談と、甘いものと、酒が大好きな祖父は、

実は、ちょっとした「偉い人」でもあった。

そのためか、いくつになってもスーツをカッコよく着こなす男だった。


姿勢が良く、歩くのも速い。

ワインやビールをガブガブ飲んでも、全く酔わない祖父。

近所の行きつけのイタリアン・レストランでチーズとワインを楽しみ、

お土産に小さなピザを買ってくる、

それがいつもの散歩だったようだ。









深夜の病院は、自分の足音ばかりが聞こえてくる。

その先にいた祖父は、実に穏やかな表情でそこに寝ていた。

つい30分前に心停止したばかりだもの、

体もまだ温かかった。


体を拭き、白装束を着せられた祖父。

老衰によって、風邪をこじらせて肺炎になったのが、

直接の死因ということだった。








3つ。

祖父に対して、実は3つ、お願いしたいことがあった。



ひとつは、

絵のモデルになってもらうこと。

日常の、ちょっとした肖像で良かった。

老人の顔には、歴史が刻まれている。

僕は鉛筆で、祖父の歴史を感じてみたかった。



もうひとつは、

僕と碁の対戦をしてもらうこと。

といっても碁のルールも何も全く知らないのだが、

僕が覚えたら、いつでも碁ができる、

そう思って、僕は碁を覚えようとしていた。



最後のひとつは、

戦争の話を聞かせてもらうこと。

歴史の教科書に書いてあることではなく、

彼の見た光景と彼の思いを聞かせて欲しかった。



ついに、どれも叶えることができなかった。

いつでも叶えられる気がして、

ついに、どれも叶えられなくなってしまった。









帰りの車の中でも、父は気丈だ。

葬儀の段取りやら、連絡やら、

即断即決で手配していく様は実に頼もしいものだ。


母も落ち着いていた。

たまに冗談を言うほど、表向きには元気であった。


僕も、

僕も、沈んではいなかったと思う、

相変わらずハンドルを握っていただけだったが。








家族の絆を感じる。

あれからずっと寝ていない。

今日も家族みんなが葬儀の準備に奔走した。

その一体感が絆を感じさせる。


家族の絆を感じる。

起こったことは不幸なことであり、夢であってもらいたいが、

その悲しい気持ちは、

実は少し晴れやかな気持ちを内包していて、

だから切ないが、落ち込んではいない。




この家族にこの父がいる。

この家族にこの母がいて、この兄がいる。

そして、

この家族には、この僕がいる。





帰りの車の中で、

エドワード・エルガーの行進曲「威風堂々」がクライマックスを迎えた。

この家族は最強だ。










祖父が、半年振りに自宅へ帰ってきた。

黙ってはいたが、堂々と帰ってきた。



お帰り。


ありがとう。


僕は嬉しくて、そして悲しくて、涙が止まらない。












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この度は
ご愁傷様です。
御祖父様の御冥福をお祈り致します。

僕は両親も祖父母ももういません。
もっと教えて欲しい事はたくさんありましたが、
それはかないません。

唯一、妻の母だけが健在ですので、
北海道に帰った時は親孝行するようにしています。
よっし~ 2009/11/30(Mon)20:26:04 編集
無題
>よっし~さん
いつもありがとうございます。
いなくなって気付くことがたくさんあると知りました。
お義母様をぜひ大切になさってください。
僕も家族をもっと大切にしたいと思います。
americoma 2009/12/12(Sat)22:46:53 編集
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人 魂 で
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アメリカと日本、
そしてそれぞれの文化を
こよなく愛し、
その矛盾する感覚に
自分自身興味津々。


1996 BUELL S1
僕の頼もしい愛車。

葛飾北斎と
MOTLEY CRUEを
崇拝しております。

休日は近所のタリーズで
絵を描いたり、
雑誌読んだり、
人間観察したり、
考え事したり、
何もしなかったり。
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